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忌み地・忌み山の話 管理者用記事編集 このエントリーを含むはてなブックマーク

忌み地・忌み山の話


1 :ブクタブクオ:03/08/31 10:23

全国各地の忌み地・忌み山に関する記事を、ダラダラと腐った屍の
ような気分で語り続けるスレです。
「呪わしい土地」・「腐った土地」と嫌われる土地の伝承の起因を
知り、掘り起こしていくだけの話ですが、暗い気分に浸りたい方、
鬱な方には打って付けの内容にしたいです。
実際の地名が出てきたことによる第三者の不利益が発生しても、
当方一切関知いたしません。
さあ、あなたも気が狂うワールドへ飛び込みましょう……。



*内容

・伝承語り~
東京都(奥多摩・南多摩)
茨城県(稲敷)
神奈川県(川崎多摩地区)
埼玉県
千葉県
静岡県
香川県
東北・北陸
その他地域

・忌み地・忌み山に関する雑談



民俗学・神話学板からのスレです。
伝承部分がかなり長いですが、好きな人にはたまらなく好きなスレだと思います。
忙しい方は、後のほうの雑談部分だけ読まれても、十分面白いかと思います。

語り部が話をどんどん投下するというスレの形態でしたので、
煩雑さを解消する為、レス番号を取っ払ってまとめてある部分があります。
ご了承下さい。







東京・奥多摩
4 :ブクタブクオ:03/08/31 10:49*以下埼玉までブクタ氏

【祟り山】― 東京都奧多摩町氷川より小河内ダム周囲 ―

・御霊の尾根(ミタマノオネ)
 海澤の東側の山続き、大岳山から北へ抜けた大楢峠から城山の間にある。
 山の形がイハイに似てるので位牌山とか御霊山とか呼び、非常に悪い
 処だという。
 この山に自害沢(ジガイサワ)と呼ぶ沢があり、その昔日本武尊が従者を
 十人連れてここまで来たが、何かの理由で従者たちが自害してしまった。
 又は、自害したのは旅の六部とも平家の落人ともいう。
 その祟りでか、この自害沢に入って作業(山仕事)をした者は、山の中で
 必ず死ぬ。それでここに入って死んだ者が出た家から位牌が出るから。
 位牌指(イハイザス)とも呼ぶ。
 以前、ここに従者十人の位牌が飾ってあったという。
 所有者が?指(タカザス)と名を変えたが、誰も買い手がないので都に
 売却し、今では奥多摩記念林の一部になっている。



・天蓋山(テンガイヤマ)
 海沢の北にある600余米の高さの山で、山頂近くは誰も入らないので
 雑木が茂っている。
 昔の野辺送りに棺の上にかざす「天蓋」そっくりの形をしている。
 タツガイトとも呼ぶ人もいる。
 この山は買う者、売る者、木を切る者に悪い事があるという。
 上坂の人が買う算段をしていた時、三つになる子供が囲炉裏で火傷し、
 経過が悪くて亡くなってしまった。
 天蓋山には庚申が祀られているが、この庚申様が火傷させたのだという。



・病ヶ沢(ヤマイガサワ)
 日原、川苔谷の支流、逆川の奥にある。
 周囲はかなり広い手付かずの山林で、昔、ここに宿っていた法師が
 命を捨てた所だとも、落人が逃げてきて首を斬られた所だともいう。
 ここで一山買ってのべつに仕事をすると必ず病気に罹ったり死人を
 出すという。
 眼患に罹り、「銭ばかり掛かる」と言う人もいた。
 町が買い上げ町有林になり、名前も(病まぬヶ沢)にしたが、誰も
 山仕事に行かぬという。



・骨窯(コツガマ)
 病ヶ沢(ヤマイガサワ)の川向こうにある所で、そこで炭を焼くと死ぬ
 というので誰も木を切りに行かない。
 太い楢がツクツクと生えていて陰気な所だという。
 他にもカワナの屋敷地、または屋敷谷戸(ヤシキド)ともいう皿の割れた
 物が出る場所もあり、理由は分からないが悪いところなので小屋掛けを
 したり、作場をきる事はしないという。
 カワナの屋敷地に小屋を掛けたら、天狗に小屋ぐるみ揺すられたので
 以後は行かないという人もいる。



・食わない作り(クワナイヅクリ)
 日原川沿いの大澤部落の山の上にあり、ここでいくら耕作しても
 食えずに死ぬという。
 以前、ここに金剛寺という寺があったという。個人持ちの山だが
 短期間に何人もの持ち主が変わっている。



・位牌山(イハイヤマ)
 大澤地区と同じ日原川沿いの寺地地区にある。
 裏手の峰畑では塔婆山(トウバヤマ)とも呼ばれ、位牌の形だ、塔婆の
 形だと言ったりしている。
 昔、炭焼き小屋に法印様が泊ったが、貧困に喘ぐ炭焼きが金欲しさに
 殺してしまった。
 あるいは栗拾いが法印をヨキ(斧)で殺したともいうが、兎に角
 それ以来祟る山になったという。
 大体買主に祟るが入る者にも良くない事があり、九人でそれぞれ炭を
 焼いたらどの窯もみな火が消えたという。



・位牌平(イハイデーロ)
 青梅街道を奥多摩駅からダムに向かった先、境地区にある。
 元は子安平(コヤスデーロ)と呼んだが、何か良くない事があり
 そう呼ぶようになった。
 祟り山で作場を作ったりするのを嫌う。
 この付近では入ったり炭を焼くのを忌む場所は他にも多く、
 それらを皆、地獄谷戸(ヂゴクト)と呼び、誰かが仕事で
 怪我か死亡した場所であり、人名を冠して誰々ヂゴクと呼ぶ。



・生首(ナマクビ)
 六ッ石山へ向かう途中の集落、水根にある祟り山。
 昔からその山を買うと身体から首が離れるような事になる
 (いわゆる斬罪、獄門首になる)といわれ、誰も買いたがらない。
 新梨尾、出野萱の両方も祟り山だと言う。



・位牌窪(イヘークボ)
 御前山の北西を下るミズクボ沢がダムに流れ込む辺りをいう。
 昔、伊平という炭焼きが窯に火を入れていたが、山崩れで
 窯と一緒に樹の下敷きになって死んだ。それ以来ここで
 木を伐ると怪我をしたり、呼んだりするので気味悪がって
 山仕事をするのを嫌うという。
 湖岸道路に面しており、今では林業作業車やブルドーザー
 が唸りを上げて稼働している。



・倉戸(クラド)
 奥多摩第2駐車場から仰ぎ見る倉戸山。その裾に当たる現在のバス停
 付近は、かつて悪い事がある場所として近在に知られた祟り山である。
 昔、何者かが炭焼き窯の中で死んでいた。
 その霊を祀るために碑を立てたが、誰が作業をしても怪我をしたり、
 火を出したりと非常に不首尾な事が起こる。
 今もってジメジメした寂しい北面の山側で、もとは個人持ちの山で
 幾人もの手を渡り歩いたが、最後に埼玉県入間の医師が所有した後に
 都が買い上げ、公園管理団体のもとに置かれている。



・居合澤(イヤイザワ)
 倉戸山の奥手の祟りある山で、永い間に木の葉が深く積もってブクブクと
 している陰気な沢である。
 戦前まで此の沢で材木の太いやつ程もある蛇を見た者がいた。
 また、頭が尾羽の方にも付いている山鳥が住んでいるといい、炭焼きは
 入ったりするのさえ嫌がった。
 ここは元の地主が祟ると言われ、ある一家が買ったところお祖母さんが
 ランプを灯すのに失敗し、体に火が付いて亡くなり続いて孫も火傷で
 死んだという。
 人の手を渡り続け、都の所有になる前には薪炭組合の所有になっていた。



・北蓑戸(キタミノト)
 奥多摩周遊道路のダム側ゲートを過ぎて数キロ行くと交差点があり、
 山の「ふるさと村」に向かう道がある。
 ここよりふるさと村へ数百メートル進むと一本目の橋がある。
 「北蓑橋」・・・。
 この辺りは昔、糠指(ヌカザス)といい、北蓑橋の下を流れる谷を
 着タ蓑戸(キタミノト)と呼んだ。
 昔、ある夏の雨の降っている日、ある人がここで炭を焼いていたが、
 眠り込んでしまい、着ていた蓑に火が付いて焼け死んでしまった。
 それで「着タ蓑」と云う名前が付いた。
 ずっと昔の事で、それ以来この山に入ったり、所有者になると必ず不幸が
 あるといわれた。
 蓑を焼いて死んだ人の次の持ち主は火傷で死に、
 南集落(現在矢久亭のあるところ)のある人はここで狸に化かされ、
 裸足で歩き回りながら死んだりしたという。
 埼○銀行某支店の頭取が持っていたときは子供が次々に死亡し、支店の
 経営も上手くいかず財産が1/10になってしまった。
 また、ここで働かせていた林業労働者が崩落で6人死亡する事故も起き、
 とうとう困り果て塔婆を建てて捨て値で売却した。
 以後も人手を転々とし、最後に鳩和木材株式会社から都に買い取られ、
 今では何も知らないレジャー客を呼び寄せている。



・新発意(シンボチ)
 北蓑橋の先、「山のふるさと村」のある辺りは岫沢(クキサワ)と呼ぶ
 地区である。
 実は此の場所も、以前は新発意(シンボチ)と呼ばれる祟り山であった。
 新発意(シンボチ)というのは浄土真宗などでいう若年の遊行僧で、
 それが何かの理由でここまで来て死んだ場所でといわれている。
 雨の降る時は出てきたという話が残っており、シンボチ小僧がいるなど
 と言われていた。
 またここで作場を切った人が猪を追うための小屋を掛けていたが、その
 猪に当たって死んでしまった事もあるという。
 南地区(矢久亭や深山荘のある場所)の人が持っていたが、その家には
 馬鹿(精薄)・気狂い・目ッカチ(片目)の子が生まれたり、首を振る
 婆さんが出た。
 それでもまだ持っていたら遂に破産してしまったと、此の付近の老人は
 どこでも知っている。



・児沢(コサワ)
 「山のふるさと村」のレストハウスの直ぐ先にある沢で、昔は良い
 ワサビが採れる田があった辺りだ。
 他の所では絶対に見られないアヤメが咲いているので、誰かを葬って
 植えたのだろうという。
 今までに山仕事で二人程死んでいるほか、炭を焼くと必ず不幸がある
 といい、ある人は両親と妻の三人をいち時に亡くしたという。



・種ヶ岩(タネガイワ)
 都民の森として整備された三頭山のどこかにある岩で、この岩の横の
 窯で炭を焼くと、火の中に頭を割られた男がじっと睨んでいる。
 昔長野から山梨まで種売りに来た男が、残りを桧原で捌こうとここまで
 来たところ日が暮れ、炭焼き窯の側の岩で野宿をしていた。
 早朝に炭焼きがやって来て、売上金欲しさに殺して窯で焼いたのだと
 いわれ、ここでは炭を焼かない。
 



314 :天之御名無主:2005/05/20(金) 10:03:45

奥多摩で思い出したけど
日原鍾乳洞をさらに登っていくと
お地蔵様が数十体並んでるところがあるのだが
その前で涙が止まらなくなったことがある。
そんな経験後にも先にもないのだが・・・。



315 :ブクタブクオ:2005/05/20(金) 21:02:41

>>314
あるね。
ブクタは昔、会社のツーリング仲間とジゾさんの前で写真撮ってきましたが、
別になんともなかとです。

ハュウゥゥ…



316 :314:2005/05/23(月) 18:18:02

>>315
今にして思えば山篭り後だったため感情が純粋に
なってたのかもしれん。



21 :天之御名無主:03/08/31 21:55

怖いよ!もう奥多摩で」キャンプ出来ない!

檜原村数馬の蛇の湯は?



22 :ブクタブクオ:03/08/31 22:31

蛇の湯の話は祟り山と違うので外させて頂きます。
檜原も祟り山の話は豊富です。
作物泥棒と間違えられて百姓に撲殺された貧しい哀れな武士が祟るように
なった畑の話など、山に限らず色々あります。
ですがもう少し奥多摩湖側の話が残っています。
ではまた明晩・・・



25 :天之御名無主:03/09/01 14:35

奥多摩に集中してるけど
そんな濃いいところとは知りませんでした。
青梅にじーちゃんの家があるんだけど
あのへんも山だなあ こったら話聞いてみたい



27 :天之御名無主:03/09/02 04:20

どうせ奥多摩の山菜利権か松茸利権がらみで
排他独占を狙って出来た話だろう。
竜喰谷とか龍神沢なんて名前が付くところに限って
入れ食いの場所が多い。



118 :天之御名無主:03/09/17 21:01

それにしても奥多摩の伝承は「入るな」「(土地を)買うな」ってのが多いね。
なんかオカルトつーより政治的なものを感じる……








東京・南多摩
【祟り地】― 東京・南多摩の丘陵を漁る ―

・東京都多摩市連光寺の某所。
 もと墓地の跡と言われている。この土地は昔より持つと所有者に
 悪い事があり、長く持っていた人がいない。
 今もいる人で若い嫁を亡くし、その前に住んでいた人は子供が
 みんな亡くなってしまった。それ以前は寺方の持ちものだったという。
 またある某家では先祖が請け負った仕置き場があり、そのための小屋が
 あった跡が悪いという。
 土地が安いので、知らぬ人はみな買うのだという。



・東京都多摩市南貝取
 とちのき公園は以前、栃ノ木谷戸と呼ばれる魔所であった。
 事故の多い場所で、以前ここに栃○という家があったが絶えてしまい、
 その跡地を買うと良くないと言われていた。



・東京都多摩市落合
 厳耕地(ゲンゴウジ)という広い農地があった。
 ここに佐五右衛門という男が屋敷を構えていたが、ある時ゲンゴウという
 法印が訪ねて来、理屈を並べて泊り込み、そのまま居付いてしまった。
 そのうち佐五右衛門の女房と良い仲になり、主人に酒を飲ませて井戸に
 放り込み殺してしまった。
 その後二人は磔にされ、死体は同じ井戸に放り込まれた。
 跡地は畑になり、安く売りに出ていたが、町田市小山田の某氏が
 所有者になったところ、悪い事が続くので石碑を建てたという。
 後に整地された。大○証券多摩総合研修センターの辺りだったという。



・東京都町田市小山町
 相原町との境付近で、町田街道より百メートルぐらい登った丘の上に
 台地状の畑地がある。
 昔大きい屋敷があり、栄えていたが何かの理由で滅亡してしまった。
 他所から来た者がこの土地を手に入れたが、忽ち災難が相続き、占者に
 観て貰ったところ、敷地内の石の祟りだと言われた。
 家も全て取り払われたが、この石だけは今も畑の中にあるという。



・町田市山崎町
 昔、ここに(勘松の田地)という耕地があった。
 山崎勘松という眼病で失明した者がいたが、親より与えられた田畑と
 財産を兄に奪われたのを契機に諍いが起こり、兄の逆恨みから謀られ、
 検校への道も閉ざされてしまった。
 勘松も素行の悪い者であったが、村中を怒り喚きながら最後は自宅で
 縊死してしまった。
 その後兄の一家8名が次々に急死し、勘松の田地は怖れて誰も手を出す
 ものはいなかった。
 近年になって、○中○四郎という人が理由あってここを買い取ったところ、
 たちまち重病に罹り、子供らと協議の上、上小山田の養樹院に納めて
 勘松の供養をしたところ、全快したという。



・町田市根岸町
 日向根トンネル(日向根隧道)の付近を崖根(ママネ)と呼び、昔より
 怪しい事が多い場所だといわれてる。
 隧道ができる以前は、今より雑木が繁茂する暗い崖地で、中世の横穴墓
 などが発掘されたりしていた。
 境川に面した日向根部落のある老女が、近在の法事に出た晩にここを
 通りかかると、背後で大勢の男の声が聞こえたという。
 ここに「ナンジャモンジャ」と呼ばれる樹があり、区画整理の工事で
 伐ったところ、木の根が数枚の板碑を抱えていたといい、地域の有志が
 堂を建てて合祀してある。



613 :天之御名無主:2007/06/21(木) 13:48:41

忌み地というには薄いが……
現在、多摩湖・狭山湖という人口湖が東京にあるのをご存知だろうか。
まぁ湖の北側はもう埼玉県で、西武遊園地のすぐそばで、桜の名所でもあり、湖を一周する遊歩道も整備されていて、なかなか良いところです……周回道路を飛ばすDQNもいるけどナ。

では、その何処が忌み地かというと。
かつて、昭和2年にダムに沈む前の狭山村というのが相当貧しい村だったそうで(なにしろ周囲を丘陵に囲まれた盆地で日照も悪い)、江戸時代には口減らしの為に姥捨てが行われていたとの事。
その「捨て場山」と呼ばれたあたりから、ダム工事の際にも風化した人骨が出たとの事。
現在も「行人塚」と呼ばれる碑が建ってるらしいが、東京都水道局の所有する水道用地ということで、立ち入りは禁止だそうです。

水気が多いせいか雰囲気は悪いけど、忌み地ってほどでもないかな……

参考資料;「多摩の怪談ぞくぞくガイド」けやき出版 2000年



614 :ブクタブクオ ◆DEJSaGMUPk :2007/06/21(木) 18:49:15

水没前の多摩湖(村山貯水池)は五ヶ村に分かれていて、
人の住み始めた歴史は古くはないですが、それなりに農村社会が
できあがっていたようです。
最奥の石川村でも戸数は少ないですが、古い写真を見た限りでは
湿地や原生林もなくなり、水田が広範囲に拡がっていました。








茨城(稲敷)
【忌み地】― 茨城県稲敷方面の病人田 ―

・江戸崎町の潰れ屋敷跡
 昭和の初め頃、江戸崎町松山で「良い売畑がある」と持ち掛けられた人が、
 下君山の羽黒にある20ヘクタール程の桑畑を購入した。
 ところがそれより、次々にその家庭に不吉な事が起き初めた。
 主人が飼い馬に足を踏まれ足指を切断したり、娘が鬱病に罹り自殺未遂を
 起こしたりと祿な事がない。
 困った主人が近所に住む老人に洩らしたところ、意外な話をされた。
 昔その畑に百姓家があり、高持ち(土地持ちの豪農)だったという。
 その家敷でゴゼを泊めたところ、稼いだ銭を沢山持っていたので風呂に入れ、
 湯船に漬けて殺して敷地に埋めたのだと云う話だった。
 ある晩、隣の嫁がこの屋敷に風呂を貰いに行ったが、風呂の蓋を取ると
 火の玉が一杯に入っていた。仰天した嫁が風呂掻き棒で思いっきり叩いた
 ところ、あたり一面に火の玉が散らばり火の海になった。
 恐ろしくなった嫁は夢中で逃げ帰り、布団を被って寝込んでしまった。
 そんな事があって以降次々に悪い事が起き、ついに潰れた屋敷跡なのだった。
 それを聞かされ驚いた主人は、地続きの家で売ってほしいと話があったのを
 幸いに、大分損を承知で売り渡した。
 その後、嘘のように凶事が治まり、娘の病気も治ってしまった。
 ところが一方、買った家では主人が胃癌で急死。倅は若くして中風に罹り、
 不幸が次々に襲ってきたという。
 堪り兼ねたその家でも、小学校の移転先の用地を町が探していると聞き、
 売却に成功してからは平穏無事だという。



・旧幕時代から維新の頃まで、稲敷地方の庶民の生活には、加持祈祷などの
 呪術的信仰が非常に盛んに行われていた。
 その面影は今では推し量るべくもないが、医療や福祉のない時代に、
 救いを求める民衆に対し、多額の祈祷料を欲しいままに求める修験道の
 僧達が跳梁跋扈していた。
 ある者は出鱈目な祈祷や託宣で築いた財を食い物にされ、また先祖からの
 土地を売り払いして祈祷に費やし、一家滅亡に至る例も珍しくなかった。
 様々な人々から搾取し、隆盛を誇っていた修験道の寺院も、明治の廃仏毀釈
 の折に衰退し、今ではその風潮も忘れ去られたに均しい。



・牛久市奥原町
 ここにかつて薬師寺、地蔵院の二寺があった。
 この寺は修験道の寺院で、明治維新の際に廃寺となり、その持田は民間に
 払い下げられることになった。
 地蔵院は持田40?余り、地味も豊かで収穫も良かったが、なぜかこの
 田を作ると凶事が起き、地元の人は誰も作る人がいなかった。
 人手を巡り、多村の者なら障りなかろうと買った者がいたが、やはり凶事
 に悩まされ手放したと言う。
 薬師寺は持田50?ほど有り、古文書によれば旧藩士に払下げられた後に
 次々と持ち主が代わり、ある家では長男・次男と続いて事故死したという。
 安値に釣られて買った竜ケ崎市内の不動産屋が、たび重なる災難に困り
 果て、某寺院に寄進してしまった。



・龍ケ崎市八代町下入代
 県道潮来線のバス停から30?程の所に、十三角田という田があった。
 この田がなぜ忌み田になったのかは定かでない。
 葬式の十三仏と田の角の合計が同じだからと言う者もあるが、理由は
 はっきりしない。
 この田を耕作する家には次々と凶事が発生し、永い間荒れるに任せていた。
 しかし終戦後の食糧不足と米価の高騰に耐え切れず、この田を耕作する
 人があった。
 この家では間もなく、倅が土方仕事に出てガケ崩れで生き埋めになり死亡。
 親父は急に田を手放したくなり、他の人に貸して作らせたら今度はその家
 で主人が胃ガンで死亡。家族にも次々と病人が絶えないので遂に放棄した。
 荒れ果てていたが耕地整理が進み、今ではどの辺にあったかも判明できなく
 なり、地主が元の場所あたりを配分され引き受けた。
 地形が変わったためか、今では無事だと言う。



・新利根町芝崎
 芝崎の水道という所に、約1?程の田があった。
 形が出刃包丁に似ていると言うので「出刃田」と呼ばれ、ここの田を耕作
 すると災難が来ると恐れられていた。
 これまで何人となく作る人がいたがすぐに止めてしまい、荒れるに任せて
 いた。
 昭和十年頃、河内町下加納の人が作ったところ、間もなく火災に遭って
 自宅を全焼してしまった。
 現在は農地構造改善事業によって所在不明となった。



・新利根町曽根の河内屋堤
  承応三年、常陸川筋の河道が整備され、利根川の東移が実現したが、
 この成功により幕府は、関東郡代・伊奈半次郎、大目付・高木伊勢守に
 命じ、延長約三五キロメートルの新利根川が開発が始まった。
  数万ヘクタールの新田開発のため、利根川の水流を利根町で締切り、
 新たに流路を北に替えたのである。しかしこの新川は勾配が急であった
 ため、沿岸の村々の大水害を招いてしまった。

  このため利根町押付から東村押堀に至る新堀堀削工事する事になり、
 寛文三年、大阪の豪商・河内屋治兵衛、並びに京都の豪商・伏見屋が
 工事の請負に当たる事となった。
  南堤側の普請、伏見屋は工事が順調に進んだが、北堤を請け負った
 河内屋は、草が枯れて出来た特有の「ケド土」という土層に突当たり、
 あらゆる工法を用いても一夜で跡形もなく堤が流されてしまった。
  迫る工期、資金の欠乏。重なる心労の末、河内屋は現在の新利根町
 曽根付近に建てた仮小屋の中で、無念の最後を遂げたという。
 その後、この河内屋堤の後は田となったが、耕作すると祟りがあると
 怖れられ、貧しさに手を出す農家も永くは作ろうとしなかった。

  堀川地区に終戦間もない頃、河内屋堤の跡を耕していた家があった。
 ある日、父と息子が口論となり、息子が出刃包丁で父を刺し殺す事件が
 発生した。この家は現在絶えて、家族の所在を知る者はいない。
 この他にも耕している家があったが、余り良い話は聞かないと言う。
 いま河内屋の墓地は、新利根町曽根の村道にヒッソリ建っている。



・新利根町下太田
 昔、京塚という小さな塚があった。その一帯は京塚という地名である。
 外部から移り住んだ者が、いつの間にか平らに均して屋敷にして
 使用していたが、娘が若くして癌で死亡したり凶事が続いたという。



・新利根町堀川
 弁天堂の持田で弁天田というのがあった。作ると病気や怪我が
 絶えないといわれていた。現在、耕地整理で消滅した。



・新利根町寺内上ノ原(病人畑)
 旧阿波街道の道路沿い、窪地で昔から耕作すると災難があると言われて
 いた。地主が数10年前まで作っていたが、現在は休耕となって篠が
 生えて放置されている。



・東町釜井(薬師田)
 国道294号、釜井駅バス停付近に昔、薬師堂が建っていた。
 免地30?が民間に払い下げになったが、病人が出ると言われて
 荒れていた。現在、国道用地と住宅地になっている。



・東町伊佐部
 ここに塔婆の形をした田が5枚続いてあり、塔婆田と呼ばれていた。
 この田を作ると祟りのために家から病人・気狂いが出ると言われ、
 誰も耕さず荒れていた。現在は耕地整理で均されて消えた。



・東町阿波崎
 万願寺下に女郎塚という小さな塚があった。女郎田と呼ばれ、ここを
 耕作すると悪い事が続いて発生し、誰も作らなくなった。



・東町阿波崎
 墓場田と呼ばれ、元は墓地であったが改葬されて田にした場所で、
 深く掘ると人骨が出ると言われている。
 ここも作ると怪我や病人が絶えず、永く作ろうとする者はなかった。



・東町市崎(ショウズカ婆の田)
 昔、雪の降った翌朝、一人の女が行き倒れになって凍死していた。
 ここの田を夜通るとお化けが出ると言いい、子供は夜になると通ら
 なかった。



・東町大沼上池
 四枚で20?程の田で、首切田と呼ばれている田がある。
 昔、日照り続きで凶作に喘いだ時に、隣りの田の持ち主と水を盗んだ
 盗まないで争いになり、持っていた鎌で相手を斬り殺してしまった。
 その後、その田は祟りで災いが起きると言われ荒れ果て、水が溜まって
 池のようになっている。



・江戸崎町松山
 明治の廃仏令で無住のまま立ち腐れになった廃寺跡で、50?程の
 宅地であるが、しばらく身寄りのない老人が一人で生活していた。
 老衰で死んだ後は村で無縁仏として埋葬した。
 その後、誰もここに手を付ける者はいなかったが、作業小屋を建てて
 利用した人が子供を癌で亡くし、続いて妻が自動車事故で亡くなるなど
 悲劇が絶えなかった。
 この家では年に何回か土地の供養を行っている



・江戸崎町松山
 鹿島神社の近くの三又に道祖神の石祠があり、(やしんほ道祖神)と
 呼ばれている。
 (やしんほ)とはいやしん坊の事で、何でも欲しがるという意味である。
 酒を供えて願を掛ければ利益あるというが、たとえ篠竹一本でも取ると
 祟りがあるということで荒れ放題であった。
 特別信仰の厚い人が供養の上、清掃して綺麗にした。



・江戸崎町松山
 底なし田。これは元、東光寺の免田であったという。
 底知れずの深い田で、怖れて耕作する者がいなかった。
 ある家で作ったが、妻は病気がちで夫は働かなくなり、家庭不和で
 若くして夫婦とも病気で亡くなった。



・龍ヶ崎市愛戸町
 愛戸に昔、般若院の病人田と呼ばれる、真中に松の木が生えている
 田があった。
 一年中陰湿で下草は茂り放題。白い蛇が出るといって近寄る人がなかった。
 ここを作った家では気狂いが出たり、病人が絶えなかった。



・利根町羽中
 病人田と呼ばれる田が白鷲団地の方にあって、深い田の真中で女の笠だけが
 浮いていた。
 笠を被っていた女が、田植えの最中沈んでしまったといい、この田を買うと
 悪い事があるという。



・利根町羽根野台
 羽根野と早尾の間に城山という寂しいところがある。
 昔、喧嘩で誰かが殺された所だという。
 景気の良い人が買ったところ、良くない事が起きたという。
 また、切腹山という場所もあり、武士が10人余り自害した所だといい、
 ここを持つとやはり良くないという。



・龍ヶ崎市羽黒町
 羽黒町から利根町の羽根野にいく道は、昔は昼でも寂しい所だった。
 羽黒には大きな木と石を祀った神様があり、誰もさわらない。
 やれば必ず病気になると言われ、周りが宅地化された今でもそこだけ
 残っている。
 土建業者もよく知っているので、ここは手を付けない。



・龍ヶ崎市長沖町
 首切り田というのが長沖町のシンタクの田にある。
 長沖町の幼稚園の先の辺りだといい、昔は畑で首切り畑と呼んだが
 元は処刑場(首切り場)だという。
 昭和10年に耕地整理の際、そこを田にして作った人が1年で死んだ
 という。
 その他、長沖には位牌田といい、寺の持田だった田が2~3ヶ所ある。



・龍ヶ崎市古城
 城山から利根町奥山の観音様に抜ける道は、上がり坂で馬坂と呼んだ。
 現在の龍ヶ崎潮来線の一部であるが、その近くに城根と呼ぶ場所がある。
 昔、龍ヶ崎城と奥山城の戦いがあり、奥山城主敗退の際に流れ矢を受け
 死んだ場所だといい、作った人は必ず田の中で死ぬという。
 現在は龍ヶ崎二高の一部になっている。



・龍ヶ崎市川原代町
 西道内に稲荷のある篠藪があり、女が夜通ったところ、人の首だけが
 出たという。



・龍ヶ崎市下町
 代官畑というのが下町の南にある。
 旧幕時代、代官の次男がその畑で働いていた娘に言い寄ったが、
 拒まれて恨みに思い、罪に落とし入れた上に虐殺してこの畑に埋めた
 という。ここを耕作すると不幸になると言われている。
 父親の代官も暴政を振るった者で、訴えに来た村民を投獄しては獄死
 させたという。



・龍ヶ崎市下町
 鏡田という2?程の田が、上町と下町の境にあった。
 色々言われているが、大体次の2通りの話がある。
 ○昔、ここの農家に非常に顔の醜い娘がいた。家人は娘に鏡を見せずに
  暮らしていたが、ある日田に映った自分の顔を見て驚き悲嘆し、田に
  落ちて死んだとも、自殺したともいわれている。

 ○並木の所に店があり、下女に顔の醜いタケという女がいた。
  毎日田んぼで化粧をしていたが、ある時主人に(悪戯か、故意か)
  後から押され、田に落ちて気絶して死んだという。

 この田を作ると凶事が起きると言われていたが、戦後ある菓子メーカーが
 付近一帯と共に購入、工場を建てた。
 当初は経営が上手くいったが、何年も経たずに倒産してしまった。
 近所の人は、やはり良いことがなかったと話したという。
 現在は幼稚園になった。



・龍ヶ崎市宮淵町
 昔、ここの内野という所に、祟りがあると嫌われる病人田があった。
 (アヒル小屋)と言われてアヒルを飼っている家があり、そこの者が
 耕作したところ病人や怪我人が絶えず、困り果てて作るのを止めた。
 農地構造改善事業で今はない。



・龍ヶ崎市貝原塚町
 昔、根町の般若院がここの篠藪で覆われた荒れ野にあったと言われ、
 大きな塚が寺領の片隅にあったという。
 般若経をこの塚に埋めた場所で、祟りのあるとする藪畳だった。
 龍ヶ崎ニュータウンとして宅地開発され、消滅した。
 発掘をした担当者が事故で怪我をしたという。
 また、ニュータウン用地となった場所には念仏塚という塚もあり、
 経石が籠一杯出たが、掘った者に不幸が起きて又埋め戻したと言う。




・龍ヶ崎市宮渕町
 堀田と呼ばれていた地区に、江戸時代の総代名主の屋敷跡があった。
 御白州もあり、罪人の仕置きも行われた場所で、昔は蔵からお化けが
 出るとか女の泣き叫ぶ声がするという噂もあった。
 近辺住民の子供らなど、夜は恐怖していたらしい。
 ある家で次男が分家の際、この跡地の一部を買って家を建てた。
 すると夜は夢の中に恐ろしい姿の人や光景が出て悩まされ、とうとう
 精神を患い入院してしまった。
 人に勧められ、お寺で供養してもらってからは平穏無事であるという。



・牛久市島田町
 かろうど畑という畑が鹿島神社近くにある。
 この地域の人などによく知られた祟りある畑で、昭和50年頃までは
 一人暮らしの老人が野菜を作っていたが現在は荒れている。
 付近の人は貰ってもいらないと忌み嫌われている畑で、幾人もの
 人を不遇な目に遭わせてきた話がある折り紙つきの因縁畑である。
 「かろうど」とは唐棺の事だと指摘する人もあり、昔は古墳があったと
 いわれている。
 以前まで畑の中に藁で出来た粗末な祠があったらしい。



・牛久市島田町
 小野川の土堤に近い場所に薬師様の田というのがある。
 以前ここに薬師堂があり、地元では祟りがあるとの事で誰も作らなかった。
 20年程前、龍ヶ崎市大塚町の青年たちが何かの資金稼ぎの為に共同で
 作り始めたが、先立った者が何人か死ぬという事故が起き、そのまま
 耕作を止めてしまったという。



・龍ヶ崎市若柴町
 ここにも薬師様の田んぼといわれる田がある。
 大羽谷津の松原近くにあり、この田に入るとデキ物が出来るといって
 タニシ取りになど行かなかった。(利根流域は住血吸虫の害があった)
 この近くには昔化け物がよく出たといい、ある人が刀で斬ると消えて
 しまった。
 血が流れていたので跡を着けてここまで来ると、古道具を埋めた所だった。
 掘ったら刀傷のある箪笥が出てきたという。


休題.....

忌み地の話ではないが、前述の茨城県稲敷郡江戸崎町下君山から、上君山へ
向かう国道408号には他にこんな怪談もある。
これも昭和の初め頃の話で、小雨がしとしとと降る寂しい夕方に火の車が
現れるという話があった。
火の車は近付いてくると、側によって「乗ったか?乗ったか?」と声を掛ける。
返事をしないと何時までもまとわりついて「乗ったか?」と決して去らない。
そこで「乗ったあ!」と答えると、まっしぐらに走り去る。
行く先は多分、上君山の「いも薬師」だろうという。
 ※「いも薬師」は別名:「車堂」と呼ばれている。
  国道に面した、雨よけのあるだけの奥行きのない木造の祠堂である。
  何故「車堂」と呼ぶのかは、はっきり分からない。




84 :天之御名無主:03/09/08 13:55

龍ヶ崎にお詳しい方がいらっしゃるようなので、質問させてください。
少年時代の一時期を龍ヶ崎で過ごした者(非地元民)です。

今から20年ほど前、とある習い事の教室で親しくなった他の小学校の子
の家へ遊びに行くことになりました。彼はあまり乗り気ではなく、私が
しつこく「ミヤマクワガタが捕れる秘密の場所を教えろ」と頼んだため
折れたような格好です。

R経済大学の傍を通って山の方へ自転車で進むこと20~30分、隠れ里の
ような所が彼の住む集落でした。欝蒼と木々が生い茂り、独特の雰囲気
だったと記憶しています。ゴルフ場が近くにあったような気もします。

それから暫くその近辺でクワガタ探しをしていたのですが、地元の少年
の集団に見つかったところ…半ば強制的に僕1人が帰らされました。
なぜここへ(他所者が)来たんだ、と言わんばかりの勢いで。

忌み地とは直接関係ないかもしれませんが、あの独特の排他的な
雰囲気が何に由来するものなのか未だに気になります。



85 :稲敷地元民:03/09/09 04:08

稲敷方面の記事は大変興味津々です。
 できたら阿見・美浦方面の話もきぼんです。
 >84 オレもその集落に逝った事があるが、
迷子になってしまったよ。暗くなると怖い所だよ。
           


86 :天之御名無主:03/09/09 04:55

>>84
横レスですが

小学校ぐらいの子供は仲のいいグループで
ひみつの場所を作る場合があります
そういう場所は、通常、そのグループだけの秘密の縄張りであり
他グループの子供や、よそもの、女子などが入ることは極端に嫌われます

そういう私は県南のT市出身です
私も子供の頃はよくひみつきちを作りました
余談ですが、市内の「自然賞作文コンクール」かなんかで
「ひみつば」とか「ひみつきち」のような作文が時々入選していたようなので
そういうものを調べると、詳しい状況が解るかもしれません



87 :天之御名無主:03/09/09 08:33

>>86
帰らされた場所がクワガタの捕れそうな「秘密の場所」の近くだったら
不思議はありませんが、移動途中の路上での出来事だったと記憶して
います。このとき、彼が私の来訪を渋っていた理由が「よそ者を集落内
に入れるな」ということだったのかな、と感じました。

そもそも龍ヶ崎は閉鎖的な土地柄で、よそ者扱いされるのには慣れっこ
な私でしたが、その一件だけは妙に記憶に残っています。



89 :天之御名無主:03/09/09 20:11

地名は記憶にないのですが…彼らの小学校は私服での外出が禁止されていたらしく、
常にオレンジ色のジャージを着ていました。そのとき遭遇した少年たちもオレンジ色の
ジャージだったことを鮮明に覚えています。



119 :天之御名無主:03/09/21 16:26

>>84
亀レスだけどゴルフ場は、貝原塚ってゆうところに今も存在します。
あとオレンジ色のジャージはおそらく八原小学校だと思う。俺も八原出身
だけどオレンジのジャージ着てた。今はジャージ違うタイプになったみたいだけど



120 :天之御名無主:03/09/22 02:14

なんで龍ヶ崎覆いの?
こえーべよ



121 :竜ヶ崎最高:03/09/22 21:32

>>120
心配すんな!
竜ヶ崎の書き込みは嘘八百だよ!
竜ヶ崎は住みやすく人情味のある下町的な町です。
竜ヶ崎を怨む隣町の引きこもりの言うことを信用しないでね!



122 :天之御名無主:03/09/23 02:01

なんかお隣の国の地域争いの縮図的な地域なんですね。



123 :天之御名無主:03/09/23 14:43

龍ヶ崎住民ですが、なかなか興味深いものがありますね。
自分でも調べて見たいのですが、どうやって調べるのですか?
図書館で民俗学や伝承文献の本を見ればいいいのでしょうか?



141 :天之御名無主:03/10/03 18:41

>123
龍ケ崎市史民俗調査資料書(龍ケ崎市発行)という本がある。
現在のところ4部あり、上記の市内の伝承を大半は記述されている。
 ただし老人の語り草をそのまま記述してあり、訛りを解釈できないと
大変読み辛い文章である。その他、幅広いジャンルの龍ヶ崎の民俗が網羅されており、
その分野に興味ある人にとっては貴重な文献と言える。
 もちろん図書館に蔵書されてある。ただし貸出禁だ。



136 :天之御名無主:03/10/02 11:34

忌地<いやち>. 連作障害が起こる土地

ぐぐってもこの意味の情報しかないね。
土着民でない漏れには調べようがない。



538 :天之御名無主:2006/10/10(火) 21:11:05

158 名前:   投稿日: 2001/07/29(日) 22:17

茨城の民俗っていう雑誌がある。そのかなり前のバックナンバーに
稲敷郡一帯の忌み地伝承の特集記事があり、筆者自身も以前、いわくの
ある畑を購入し、不幸な事が続いたらしい。
 こういったいわくの起因は、やはり金目当ての殺人、首斬り場、落雷
などの事故や自殺現場が多い。それにしても竜ケ崎や江戸崎なんて田畑
ばかりなのに、よくもまあこんな陰惨な事ばかり過去にあるもんだと
それ読んで思いました。



539 :天之御名無主:2006/10/10(火) 23:06:40

自縛霊の霊障が溜まりやすいケガレ地なんだろな。








神奈川(川崎多摩地区)
【祟り山】― 神奈川・川崎多摩地区の丘陵で狂え!―

・庚申山
 神奈川県川崎市多摩区の長沢の北にあった高さ100 m、広さ300 ?ほどの
 丘陵で、普段人が入って木を伐ったりすると、怪我したり死んだり、気が
 狂ったりすると言われていた。
 以前は大きな樹が茂っており、トオノコシ谷戸(平瀬川付近)の庚申講
 の持山であったが、一度国有地となり、民間に売りに出されたが買い手が
 付かなかった。(今ではマンションや住宅が犇めいている)
 明治の中頃まで同族で構成された庚申講による一党祭祀が続き、8年から
 10年に一度取り行われる祭りの時にだけ入山したという。



・穢地山(ケガチヤマ)
 川崎市柿生区万福寺。 博打打ちが仲間に斬り殺されたためになった山だ
 といい。持てば持ち主に祟るという。
 柳田によれば、ケヤマのケは(物の怪)のケというが、ここでは穢れた
 場を意味する。



・癖山(クセヤマ)
 川崎市柿生区金程。 ここも公園化されている。「あの山はクセが悪い」
 などといい、誰も買うのを嫌ったためという。



・死に山(シニヤマ)
 東京都稲城市。これは東京都だが、裏手の川崎市柿生区細山と山続き
 なので加えさせてもらう。
 東京○みうりカントリークラブ付近にあったと思われ、山仕事の人が
 怪我をしたり、死んだりした山だという。



【祟り山】― 神奈川・川崎多摩地区の丘陵で狂え!―
・入いらずの森(イラズノモリ)
 川崎市多摩区生田にある川崎市水道局生田浄水場散策道のことであり、
 こんもり木の茂った陰気な手付かずの森である。
 第六天の祠があったといい、土地に昔から住む人は立ち入らなかった。
 浄水場建設の際、怪我人が多数出たという。



290 :天之御名無主:05/02/20 17:06:49

>>171のコピペは町bbsでもよく見るけど、あそこ普通の山だぞw
浄水場の隣に緑いっぱい残ってるけど、そこは私有地のまま市が整備して
小高い緑地公園になってる。
よく散歩で通ります。
また浄水場の周りの道も水道局が散歩道として開放してる。

そんなにいわくつきの場所なら、市が整備したり水道局も遊歩道
として解放しないと思われw



291 :天之御名無主:05/02/26 18:41:55

いわくつきの場所だからこそ、役所がわざわざ手がけて公共の場所に
してるんじゃねえか。誰も手をつけんのだから。
大都市の真っ只中にでかい公園とかがあったら、もしかしたらそういう
場所だったのかもしれんよ。








埼玉
【忌み山遥かに】― ダ埼玉で気が狂え ―

 埼玉県秩父郡東秩父村では(ケヤマ・ケバタケ)などと呼ばれ、そこに
 入る事を忌む山や畑が多い。
 これは昔、その地で殺人などが行われ、その殺された人の魂が呪って
 いるためだと信じられており、そこに立ち入った者には不幸が招来する
 と伝えられている。
 静岡方面でも忌み山を(ケヤマ)と呼ぶ地域があるが、どう言語が
 伝播して来たかなどは、ブクタには知る由もない。
 
 
・東秩父村坂本栗和田
 栗和田地区近くに「リュウホウの山」、あるいは「リュウホウ院の山」
 と呼ばれる山がある。
 これも付近ではよく知られた「ケヤマ」の一つで、その昔山中に「リュウ
 ホウ院」という寺があり、この寺のあった場所の木を伐った者には祟りが
 あると伝えられ、今も所有者になると必ず家に祟りがあるとされている。
  
 この地域には、豊臣の関東攻略の果てに落城した松山城の上田家の家臣を
 先祖にもつ家もあり、氏神として八代竜王を祀る家が数軒ある。
 「リュウホウ院」と関係があるかは聞かないが、上田家所縁の日蓮宗系の
 寺院にありがちな山号ではある。
 
 栗和田付近は県道11号線から秩父高原牧場に上って行く途中の閉鎖的な
 感じの集落で、明るく開けた山上の牧場とギャップがある。



295 :埼玉県民:05/03/11 14:19:54

行田市、「小埼神社」
小埼沼の傍に建つ、古い神社。境内に生えている草1本抜いてもいけない。
枝も切れないので、荒れはてている。たたりがあるためだが。



296 :天之御名無主:05/03/17 21:38:09

よく言われる、「草を1本も抜いてはいけない」「枝を折ってはならない」
というのは一体何を暗示しているものなのでしょうか?



297 :狼?:05/03/18 00:05:36

>296
聖域を汚してはならない、聖域に手を加えてはならないということなのでは?
(想像ですが)



299 : :05/03/19 18:30:06

>>296
例が違って申し訳ないのですが、山の場合、
山神様が自分の山が低くなることを嫌うので、
石や砂を持ち帰ってはいけない、という所もあります。








千葉
252 :いんちき:04/05/18 21:18

千葉市 緑区 おゆみ野 【首塚】

近代的ニュータウンが広がるおゆみ野・ちはら台であるが
昔はうっそうとした山野だった
その昔、落ち武者がこの地でつかまり首を切られたという
この塚の近くに沼田があったが、これを耕すものは家が絶えるといわれていた
昭和30年ごろ、この沼田を耕していた家があったが、怪死する者が続いたため
所有者は耕作を放棄したという
ニュータウン開発が始まるまでは荒れるに任せており、薄気味悪い祠があったという
現在はニュータウン開発に伴い、場所がわからなくなっているが、
鎌取駅のやや北にあったそうだ



千葉市 緑区 おゆみ野 【ショーエモン田】

ショーエモンというのは天保年間実在した人の名前という
昔、この田はある一家が耕作していたが、流行病で娘をのぞき全滅してしまった
欲深いショーエモンはこの娘を言いくるめてこの田を取り上げた
将来を悲観した娘は気が触れて行方不明になったという
この後、ショーエモンの一家では怪死する者が続き、絶えてしまった
これ以後も、この田を耕作する者は一家全滅などの目にあったという
おゆみ野・ちはら台開発に伴い田のはっきりした所在地は不明だが
○○公園のぬかるんだ池近くだといい
古くから住む住民はこの地を忌み嫌っている



千葉市 緑区 おゆみ野 【けち筋】

下○療養所がある岡ににあったという小道
由来はわからないが、夜この道を通ると悪い物に憑かれるとか
この筋に家を建てるとよくないことが起こるという
戦後某家がこの付近に家を構えたが
商売に失敗するなどし、結局一家離散の憂き目にあったそうだ
千葉東金道路を横断するように走っている道のことだというが
誉田駅付近にあったともいう



市原市 新堀 【病田】

この付近の耕地は区画整理され整然としているが
この田の近くだけ手をつけれずに残っている
ある人がこの田の近くで自害したといわれ
以後この田を耕作する者は病にかかったといわれている
市原市五井よりでる小湊鉄道が建設されたとき
予定ではこの田を通っていく予定であったが
因縁を知って急遽建設予定が変更になったというはなしがある



千葉市 緑区 誉田 【やくしん田】

昔、この田は池でありやくしん池と呼んでいた
この池の近くに薬師堂があったのでやくしん池と呼ばれたという
明治初期、ある一家がT氏に土地をだまし取られて、この池に身を投げて死んでしまった
以後、この池は縁起が悪いとされ、この池の水を使って耕作するとたたりがあるといい
忌み嫌われていた
戦後、区画整理でこの池はつぶされ田んぼになったが
やくしん田と呼ばれ、この田を耕せばたたられるという
現在はこの一角だけ荒れ地になっており 所有者は耕作を放棄しているようだ
T氏は実在の人物であり、戦前は地主として権勢をふるってきたが
戦後の農地解放で没落した
この一家の子孫は結局変死や自殺が続き、絶えてしまったが
「やくしん田のたたりだ」と噂されたという



千葉県 東金市 【なら藪】

某住宅地付近の、竹藪の生い茂る小山のことをこう呼ぶ
江戸時代末期に、この藪である人が斬り殺された
以後、雨の降る夜にこの藪を通ると怪異に遭うとか
この藪の竹を使うと親の死に目にあえないといって
嫌われている
また、この藪の所有者は早死にするといい
所有者も転々と変わっている
藪の中に朽ちた祠があり、現在も所有者が年一回お参りをしている



某県 某所 【六部○○】

あるニュータウンの近くにぽつんとある集落ことを指す地名
現在はきちんとした地名がつけられているが
地元民はこの集落を六部○○と呼び、嫌っている
はての二十日(12月20日)に六部がある家に泊まったが
多額の金銭を持っていたので、この六部を殺してしまった
この一家が住んでいるのがこの集落で、周囲の者は付き合いを絶っていた
この集落の者は、正月に餅をつくと真っ赤に染まるといい
今でも餅をつかないという

*いんちきには、いわゆる部落差別を行う意図は全くありません
プライバシーの問題があると思うので、多くを伏せ字にしました



千葉県 君津市 【いん田】

いん田というのは忌み田のことだろう
ある親子が言い争いをして、子が親を鎌で殺して
この田に遺体を投げ込んだ
以後、この田を作る者は祟られるといい、村の共同所有地になったが
それでもこの田を作る者はいなかった
区画整理で、現在は正確な場所はわからない



千葉県 袖ヶ浦市 【郷橋】

小櫃川に昔かかっていたといわれた橋
ある人が酔ってこの橋から落ち、溺死してしまった
その後、夜通ると憑かれるといい、
結婚の列がこの橋を通ると別れ、葬式が通ると家族にも死人がでたといい
忌み嫌われた
現在この橋はすでにないが、橋の後は残っており
地元の人は冠婚葬祭時、この橋付近を避ける



千葉県 君津市 【三郎が窪】

ご多分に漏れず?ある新興住宅地付内の窪地
現在はグラウンドとして使われている
三郎という人が隣人との諍いの末殺され
この窪地に死体が捨てられた
以後、この窪地は縁起が悪いとされ、放置されていた
高度成長期にデベロッパーが地元の業者を使いこの付近を開発した際
地元の業者は、この地だけは手をつけるなといっったという
窪地で、近くに調整池があるためか夏場は特にむしむしするこの地を
地元の人は嫌っている



千葉県 袖ヶ浦市 【ごじゃぬ田】

名前やいわれははっきりしない
この田の所有権を巡って兄弟が争った末、弟が兄を殺したという言い伝えがある



千葉県 袖ヶ浦市 【ごじゃぬ田】

269とは別のところ
この田も、名前やいわれははっきりしない
この田の近くにあれた岡があり、昔は塚だったという
坂口の家が3軒になったらこの塚を掘ってみよ、骨がでるから という言い伝えがある
この田を耕す者は早死にするという
交差点近くのコンビニの横の田んぼのこと



365 :天之御名無主:2005/12/09(金) 12:56:23

千葉の成田山てなんか忌み事ある?



366 :天之御名無主:2005/12/09(金) 22:07:27

家康の呪術者天海上人は、江戸を摩利支天の結界を張る為に、成田山
に不動尊を構築したといいます。なぜなら、成田山は江戸の丑虎、つ
まり鬼門に当たる場所でありその押さえとして、不動尊が必要だった
のです。
しかし空港が出来て、金気である鉄道ができ、成田で押さえてた物が、
空港から流れ込むようになったといいます。1978年開港以来、東京を
襲った狂ったようなバブル狂乱と失われた10年の爪痕は記憶に新しい
ところです。








静岡
205 : :03/12/19 00:40
ブクタさんが退屈しているようなので、今まで楽しませて貰ったお礼に
僭越ながら小ネタを提供させていただきます。
ただし
 ・そんなにオドロオドロしくないです。
 ・ネタ元は古いです。大正9年。なので、本文中の「今」とか
 「現在」というのは、大正9年現在ということです。
 ・静岡県です。
 ・最後に行を空けて書いてあるのは、私のメモです。




富士郡島田村(現在の富士市 国139と県171の交差辺り?)

 依田原新橋の東外れ、和田川の西側の土手を南へ一町ばかり行った所に、
幅一間ばかりの川がある。土橋が掛けてあり、ここを「お園水道」という。
 昔、お園という芸者がこの川に入って死んだという。そして、ここに
住む者は決して成功しないという。
 ある人は御稲荷様まで祀ってお祓いをしたけれども、やはり思わしくなく
余所へ移ってしまった。今もその御稲荷様は、古びたまま残っている。



静岡市(北安東、柳新田、池ヶ谷の境くらい?)

「吉塚」姑があって、嫁を酷使し一人でここの田の植え付けをさせた。
嫁は植え付けが終わると死んでしまった。そこで、この塚ができた。
 この田を耕す者は、必ず家内の死者を出すということである。それは
死んだ嫁の祟りであるとされる。今となっては作る者もなく、また
ここを買う者もいない。

 現在はないのでは?見かけた記憶がないです。



榛原郡白羽村(現在の榛原郡御前崎町白羽)

 白羽村字小杉原に、千人塚がある。その上に松が植わっていて、
椀貸せ松という。この松を切ると血を出すと言って、手をつける者は
いなかったが、明治20年の頃に切って畑と成し、今は跡さえもない。
 この松を切った者は、当時富裕の資産家であったが、今は全く零落して
家屋敷も留めていない。一家は死んだ者あり、病んだ者あり、全く離散
してしまった。松の祟りではないかと言われている。
 松を直接切ろうとした人夫も、枝打ちに上ったところ、過って墜落し
腸を出して死んだという。



庵原郡高部村大内(現在の静岡市こないだまでの清水市)

 護良親王の首を、内裏山に納め奉る。今もなお、五輪の陵墓がある。
 現在F氏の所有する土地である。同氏は近年ここの発掘に努めているの
だけれども、途中まで掘ると異様な物音が生じ、めまいがして、
どうしても掘り出すことができないということである。
 菊の御紋章が付いた位牌とか、刀鏡などは採掘したとのこと。



賀茂郡中川村(現在の賀茂郡松崎町の内陸部)

 障子山(難山?)と云う山には、現在は埋まってしまったが、
障子山という人が戦の時に隠れたという穴があった。
 この山は木が大きくなったのだが、買う人がない。
この山の木を切った家には災難があり、家にない場合には木を積んだ船に
悪いことがあると言われている。
 なお、前述の穴に白旗が立っているのを見た人は、3年以内に死ぬと
言われている。



富士郡富岡村(現在の名称不明 富士宮市か?)

 淀師に、「やみた」という田があり、作ると必ずその家の誰かが病気になる。
 昔、殿様がここに深い池のような牢を造って、罪人を生殺しにした所だというが、
確かなことは分からない。



富士郡富士根村(現在の富士宮市 JR身延線の駅があります)

 「やみ田」は、集落に必ず一つ二つはある。この田には、石で造った小さな
祠のような物が祀ってあるので、すぐ分かる。この田を作ったり、また
作ると約束しただけでも、死ぬか非常に重い病に悩まされるので、嫌われている。
 2ヶ月前にも「やみ田」を作ると約束した人が亡くなったので、
祟りだと言って村では益々嫌っている。



榛原郡上川根村(現在の榛原郡本川根町)

 昔、八幡神社があった所で、現在は帝室林野局出張所の屋敷になっている
敷地内の、大きな石が二つあった。その石が目障りなので、埋めてしまいたいと
所長が言ったのだが、恐ろしがって埋めようと言う者がいない。結局、小使が
やることになった。
 しかし、穴が掘り上がろうという頃に、石が穴に転がり込み、小使は石の
下敷きになった。穴から救い出されたが、まもなく死んだ。彼の息子の話によると、
穴が石に近すぎたために転がりこんだのではなく、石は外にあった時のままの
状態で穴に入っており、上部を少し土の上に出していたという。
 林野局の官舎を建てた時、請け負った親方連中が、その後まもなく
病気になった者が多かったので、地元では恐れていたということである。

 現在、どうなっているか不明。




ちょっと毛色が違いますが、おまけ。

賀茂郡下河津村(現在の河津町)

 ころ柿山には、その名の如く幾百年経ったか分からないくらいの、
ころ柿の木がある。その年、柿がたくさん成り、村では男も女も皆で採りに行った。
男が木に登って柿を採り、女は下で落としてくれとせがんでいた。が、
ふとした拍子に一人の女が木に触れると突然、木が女をくるっと巻き込んでしまった。
 今でも、巻くから、と言って女をその木に近づけない。



おまけ其の2
富士郡芝富村(現在の芝川町)

 長貫では、以前から正月にどんど焼きをしない。
 昔、どんど焼きをしていると白鳥山から白坊主が
「ほーいほーい」
としきりに呼ぶので、気味悪くなって止めてしまった。
翌年にまた、どんど焼きを始めると同じように呼ぶ。
それ以来、この行事は止めてしまうことにした。

芝川町役場の辺りの話。白鳥山は、山梨県南部町?富沢町?との境にある山。標高567m。
私のネタは以上です。連続カキコにて失礼しました。



島田市 長島「聖坂」
小川から長島に下る坂。

 昔、高野聖が不案内から道に迷い、山中で一夜を明かそうとしたが、
オオカミに喰い殺された。その屍と、傍らにあった経巻を郷人が焼いたところ、
灰は風に吹かれ幾多の雀と化し、この山に群がるようになった。
 土地の者が付近に焼き畑を作付けすると、群雀に食い尽くされるという。



島田市 伊久美字犬間

 どういう理由か判らないが、犬間で鶏を生き埋めにした。
それ以来、その場所を夜に通ると鶏の鳴き声が必ずするので、
恐れられている。

以上、昭和44年発行の本より。



吉原市江尾町(現在の富士市)「ごぜの森」

 森と云っても直径20mほどで、雑木や雑草が生い茂っている。
 その昔は天狗が住んでいて、夜になると時々怒って、木を嵐の如く
揺らしたという。また、ある者が森に茂っていた草を刈って持ち帰る途中、僧に
「その草は森へ返せ。後の祟りがひどい。」
と言われた。気に止めずに持ち帰ったところ、その年より
不幸な生活を送るようになった。
 住民は今でも祟りを恐れ、そばを通るのも気味が悪いという。

昭和33年発行の本より。



静岡県相良町 黒子「翁橋」

 蛭ヶ谷川に架かるが、この橋の付近では「ぢんぢん川」と呼んだ。
 狐狸か妖怪か判らないが、夏の夜などに
みすぼらしい身なりの老人が現れたり、川土手の草が綺麗に刈り取られていたり、
痩せ細り青白い顔をした怪物が、もの凄い形相で研ぎ澄ました鎌を持って
現れたりした。
 老人→じじい→ぢんぢん とのこと。

爺さんは濡れ衣のような気もしますが。



静岡県相良町 西萩間「万法印」

 丸尾原へ上る御相談坂の登り口に、小さな橋がある。
手前を左に行くと子生れ石、橋を渡り右に行くと、田がある。
この田を作ると、何かしら禍があるというので嫌われている。
 この田は昔、字 原平に住んでいた万法印と呼ばれる法師のものであった。
彼は土地への執着が強かったゆえ、縁もない者に耕されるのが無念で
祟るのであろうということである。
 現在は、地主が耕している。

以上、昭和44年発行の本より。 



「お菊澤」静岡県・・・榛原町かな?金谷町かな?とにかく、牧ノ原

 牧ノ原は、「布引の原」という別名を持つ。
 昔、相良のお菊という娘が、金谷の大工と恋仲になった。彼女は夜ごとに
牧ノ原を越え、男の元へと通ったが、当時は原野であった牧ノ原は物騒でもあり、
やはり恐ろしかった。そこで、頭の上に糸枠を載せ、鏡とロウソクを立て、
白い着物を着、白布1反を引いて歩いた。怪物を装えば、盗賊などは近づかないと
思ったのである。
 ところが、化け物の噂は腕自慢の者達を呼び寄せる結果となり、お菊は肝試しに
来ていた一人に斬り殺されてしまう。
 彼女の殺された場所を「お菊沢」と呼び、祟りがあるといって恐れた。
 太平洋戦争の直前、牧ノ原に海軍の航空隊が配置され、営舎が建設されることと
なったが、沢の周辺で事故が相次ぐので、お菊の祟りであろうと噂が立った。
沢の土を、大沢原の西光寺に運んで供養をしたそうで、地蔵尊が残っているとのこと。

昭和44年発行の本より。



東栄町 「御戸の丸山」

大笹山の大入川側の山中に、すり鉢を伏せたような、どこから見ても
同じ形をした山があるという。昼なお暗い、寂しい所だという。
この山には、つい先程まで何物かがいたかのように、枯れ草が取り除かれ
草も生えていない綺麗に掃除された一角がある。あまりに人為的なものなので、
気味が悪いのだという。集落では今でも、一人では絶対に行ってはならないと
されており、必ず二人以上で登る。
以前、一人で丸山に登った人は、巨大な白ヘビを見たと後に語ったそうだ。
このヘビは山の主であり、主を見る事は凶兆とされている。

1989年発行の山岳ガイドより

これでもうネタ切れ。 



434 :天之御名無主:2006/03/08(水) 23:10:45
 静岡県駿東郡小山町一色に椿畑という畑
秀吉が北条氏を攻めた時、この付近にあった北条方の下古城(シモフルシロ)
が落城した際城主の妻のお椿さんという方がこの畑で自害したらしいこの
畑は生姜を作っていたが自害したあと生姜を収穫すると血のように赤くなっ
たらしく それ以来この畑では生姜の栽培が禁じられている。
現在 畑の傍らに椿大明神の祠が祭られている。



445 :な:2006/03/24(金) 08:30:53

静岡県駿東郡小山町竹之下 帝釈天さんの森 入ると祟られると里人が恐れている 竹之下合戦の犠牲者の塚か古墳ではないかと伝えられでいる



446 :天之御名無主:2006/03/26(日) 09:07:53

静岡県浜松市三ヶ日町鵺代に誰が住んでも1代続かない、祟り地があります。
昔、ここで惨殺された巡礼達の怨霊であるといわれており、石垣や門は残っ
ていますが荒れ放題のままで、町民は近づきもしません。



447 :か:2006/03/29(水) 11:23:29

ぬえしろって言う地名だと付近に城跡がありそうですね もしかしてその問題の場所城跡ですか



448 :天之御名無主:2006/03/29(水) 23:42:27

庄屋だか長者だかの豪邸があったらしいです。それはすべて旅人から
得た財産だったとか・・・



460 :天之御名無主:2006/04/25(火) 23:16:12

>>448
いわゆる蘇神招来伝説か。
北陸にの寒村に多い話だが、東海地方にもあるのか。









香川
287 :死酷陣:05/01/30 21:37:01
香川県 M町 まがつ田 (凶つ田?)

香川用水が出きるまで讃岐は水不足に悩ませられる地であった。
特有の瀬戸内海気候のため、乾燥し、夏場はいつも水が不足していた。
水不足を補うため、隅々に溜池と掘割が作られた。
しかし、溜池の水では全ての田を潤すことは限界であり、
そのため溜池の水を巡って争いがあった。

讃岐には水に関し様々な伝承があり、それに伴い忌まれる地もまた多い。
M町の「まがつ田」もそのひとつである。
M家とI家が水のことで争い、M家のものがI家のものを殺し、その死体をこの田に投げ入れた。
下手人であるM家のものは、同じM町で磔にされた。
以後、この田は「まがつ田」と呼ばれ、所有者であるI家は耕作を放棄した。
この田を耕すものは熱病で死ぬと言われた。
大正時代にある政治家が所有し、耕作したが良くないことが続いた。
現在は荒地となっていて、所有者が立てた祠があるだけである。
農地改良事業の際にも、「あそこにはふれてはいけない」という意見が多く、
その土地には手を加えられず、今でも荒地として残っている。



香川県 某所 せんこうやみ(線香病み?)

溜池からの水は各々の田に水路を使って分配されるが、
自然に水を流すと、当然に溜池に近い田のほうが多く水を得られる。
よって、争いが起こらないよう、各々の田に水を流す時間は、集落の集いで決めていた。
当然に各田公平に水か与えられているのではなく、
集落の身分や力関係で決定されていた。
ところで、水を流す時間を測定するものは何であるか?
それは「線香」である。

ある被差別階級に属するとされた人の話である。
集落の身分上、水が与えられる時間はわずかであった。
しかし、より多くの水を得たいと考えたこの人物は、「燃えにくい」線香で自分の時間を図った。
当初は上手く言ったが、結局線香に細工」していることが発覚し、結局彼の田には、水は与えられないことになったという。
娘は売られ、息子は無頼の徒になり、夫婦は自殺したという。
残された田は「せんこうやみ」として忌み田になり、放置された。
農地改良事業により場所ははっきりしなくなった。

注意:投稿者には、いわゆる「部落差別」を行う意思は無く、また反対するものです。
ですので、地名等については明記せず、一部は聞き及んでいる話の内容を若干修正しています。



香川県 S市 みずしたたり(水主たたり?)

雨が少なかった瀬戸内地域では、夏場に雨を祈る一方、川や池等が自然発生的に崇められてきた
「水主」というのは水を持っている人、ないしは水を蓄えている土地に対する敬意として送られた言葉である
水主神社が、大小あわせていくつか存在する
ところで、昭和30年代に、ある地元資本の商店が町の繁華街に出店したが
この際水主神社を潰して出店した
地元の住民からは恐れられ、公然と批判する者も多かったという
経営は上手くいかず、出店した店舗どころか、商店自体も倒産した
地元の人は「水主様の祟りだ」とうわさしあった
以後、その土地で、様々な店舗が展開したが、悉く商売が失敗した
現在では、主要な道路が移ってしまったので、往時の賑わいは無いが
それでも比較的有利な土地なのに、いっこうに買い手が無い状態が続いている
水主さまの祟りといって、冠婚葬祭はもちろん、地元の中学生が定期試験の時も
「成績が下がる」といってその土地の前を通るのを避けるという








北陸・東北
520 :天之御名無主:2006/08/12(土) 13:02:14
新潟県に忌み地はありませんか?



521 :天之御名無主:2006/08/12(土) 16:16:29

新潟市学校町にむかし、戌辰戦争の軍事裁判で有罪となった幕府軍将校
の刑場があって、切断された首を洗ったとされる井戸があり、今も忌地
になっているとか。

また、西蒲原郡巻町の角田浜海水浴場に入り左側へと進んで、道路の下
をくぐった辺りにあります。登山口周辺、通称"白い家"も忌み地です。
この建物には様々な噂があり、別荘で子供が重度の精神病(もしくは
霊に憑依された状態)を世間から隔離するために建てられたといいま
す。子供の霊障があまりにも重いため、地下室(または2階)に幽閉
しましたがある日、幽閉されている子供が家政婦の隙を見て逃げ出し、
父親の猟銃で家族を射殺したとか、一家心中をしたという話もあり、
その後も、住み着いた若者が警察隊に射殺されたという話が跡を断ち
ません。建物は鉄格子が嵌められており精神病院跡ともいわれていま
すが、真偽の程は不明ですが新潟放送では今まで何度か霊の溜まるス
ポットとして報じられています。




298 :天之御名無主:05/03/18 22:16:11

福島県表郷村都々古別神社神社奥ノ宮建鉾山
ここに参拝するとトラブルいっぱい。
いわれのごとく「部落民も立ち寄らぬ聖地」ですな。



322 :地元民:2005/06/29(水) 02:05:34

そりゃ初耳だな~。
地元のガキどもの遊び場だし、昔は年寄り達もよく登ったもの。

馬場・八槻の奥の院ではあるが、建鉾山麓の都都古和気じたいは中世以前から
単に地元集落民だけの神社に過ぎない寂れたとこだべ。

奥州一ノ宮・馬場・八槻のほうは寂れてるのかな…。




357 :天之御名無主:2005/12/04(日) 09:22:46

岩手県江刺市米里字人首町には蝦夷討伐の落人の首を供養したところ
という。
江刺地方には、大武丸(大嶽丸)の子の人首丸(ヒトカベマル)にま
つわる話が多く、15・16歳の若武者として語られている。
達谷の窟を逃れた人首丸は、北上川の支流伊手川をのぼり、江刺市原
体の鬼渕に潜み、さらに藤里の愛宕山の洞窟に隠れた。しかし、追撃
は急で、米里の大森山(820メートル)にたてこもり、ついに物見山
(種山、870メートル)に陣をはった田村麻呂の女婿田村阿波守兼光
に討たれたという。兼光が取った首を見ると美少年。鬼ではあるが、
顔は人。兼光は不憫に思い、観音堂を建立して丁重に祀った。これが
のちに玉里に移された大森観音。地元民は、明治8年までこの地を人
首村と称して、人首丸を偲んだ。
また、大森山の頂上から100メートルばかり下った所に岩屋があるが、
ここが大森観音跡で、さらにやや下った鞍部に立っている2メートル
余の石碑を「鬼っこの墓」と呼んで落人供養してきたという。人首の
村名を忌んで米里に変更してから、次第に人首丸も忘れられていった
という。
ちなみに町名は消えたが小学校はまだ人首小学校が残っている。



358 :天之御名無主:2005/12/07(水) 13:50:26

>>357
まさかうちの実家があるところがこんなところで解説されてるとは。
ちなみに今も字名で「人首町」という名前は残っている。米里字人首町、ってね。
過去には宮沢賢治などもよく足を運んだらしいけど、今は過疎の波が……
ああ、スレ違いっぽ。すまそ。



495 :天之御名無主:2006/07/17(月) 08:50:29

岩手県遠野市宮守町達曽部の塚沢川の辺りに、昔、張付け峠という場所があった。
磔の処刑があったところで、別名、地獄峠といわれた。今は通る人も少ない山道
になっているが、蒸し暑い日には狐火がでるという。



496 :天之御名無主:2006/07/17(月) 20:59:26

>>495
遠野って聞くと、ホントに狐火とか出そうな感じがする。



497 :天之御名無主:2006/07/18(火) 22:16:30

いま、岩手県テレビチャンネル遠野達曽部鉄塔が建ってるところで、今も峠はあります。
[Yahoo!地図]




498 :天之御名無主:2006/07/18(火) 22:27:30

宮城の磐井の里を東西に流れ一ノ関で北上川に注ぐ磐井川中流にある厳美渓
は国指定名勝天然記念物であり訪れた方も多いと思いますが、その近くにあ
る蝦夷の悲しい歴史を刻む達谷窟 小松の柵 石坂の柵 北上川東部河崎の
柵 黄海の古戦場 最北の芭蕉宿泊の地二夜庵 恐らく殆何方も訪ねる事の
ない日本刀発祥の地舞草神社 何故あの浅野内匠頭の供養碑が磐井の里にあ
るのか そして青春の苦悩島崎藤村の文学館等、実に地味だが実に深い歴史
のある磐井の里一ノ関市なのである。
そして近隣には薄衣 歌書等の魅力的地名の反面、鬼死骸 死人沢 一首坂
 骨寺 人首(ひとかべ) 人首川等蝦夷の悲劇の地らしき地名も多い。衣
川柵の防衛線である宮城県の玉造川 そしてここ磐井川 最後に衣川を破ら
れた蝦夷の末裔は崩壊の一途を辿のである。








その他の地域
251 :本籍は奈良県:04/05/13 22:31
奈良県 東吉野村 三尾 「まのはら(魔の原?)」

三尾の集落に入る左手前、道路と四郷川の間の一段低いところに
10坪ほどの平地があり、以前より「まのはら」と呼ばれていたとの事。
今から30年ほど前に、その場所に製材所を建てた人がいましたが、その後
その人の一家には変死者が相次ぎ、最後には全員が死に絶えたと聞いています。
ちなみに、今現在製材所は廃墟と化してますが、街灯がほとんど無い場所なので
夜に横を通ると雰囲気たっぷりです(;´Д`)

なお、川を挟んだ対岸の崖の上には鉱山の坑道が残っていますが、かつては
その坑道の中で幽霊が出没したという噂も聞いています。



528 :天之御名無主:2006/08/17(木) 05:39:28

滋賀県信楽町[ゴズメ山]

明治初期、その山にゴズメという老女祈祷師が住んでいた。雨乞いや狐払いに優れ、
村人は尊敬 していた。彼女の祈祷は小動物と米を山に供え、山神を体に憑依させて
行うもので、霊験あらたかだが危険の多いものだった。彼女はある日、村人に今晩、
小屋に火をかけるよう頼んだ。祈祷の際、強い荒神に体を取られ、災い封じに死を
選んだのだ。件の村人は尊敬のあまり実行できなかったが、朝には彼女の姿は
消えていた。その後、山から狂女の笑い声が響くようになり、山に入ると発狂したり
死ぬ者が続き入山禁止となった



579 :天之御名無主:2007/03/26(月) 03:20:45

岐阜県K郡M町 七御前

道路工事の際に中世の五輪塔群が出土。古くから祟り場と言われていたが、さらに隠れ切支丹の遺物も出土。尾張・美濃崩れと呼ばれた大規模な切支丹摘発の時期に庄屋一族が使用人もろとも行方不明になったとの記録あり。祟り場=切支丹信仰の隠蔽か。

五輪塔群の由来は不明。



629 :周桑地区:2007/12/27(木) 21:23:09

82年ごろ 関西汽船(阪神行き)に乗り込む今治港の旅客は
港で乗り込む人数と、乗船する人数が一致しないことがたびたびあった。
乗船したはずなのに、乗船していない男(故人)は、近見山付近にいた。
近見山の(  )店近くには、男の住んでいた住宅が残っているが、買い手がいない。



朝倉の「曲が○田」はいわくつき
姑にいぢめられた嫁がこの田で死んだ。
それから、耕作するものに不幸が出て、誰も耕作しなかった。
今は荒地だが、「わっきゃさん」(脇屋義介もことか)を祭っている。



冨田川と織田が浜の間の海岸の砂浜は動くところがある。
足をとられて死んだ人がいる。
だから、地元で近づかない。




638 :天之御名無主:2008/01/20(日) 13:31:37

岡山県苫田郡西加茂村大字行重字貝尾

岡山県津山市から北20キロの中国山地の鳥取との県境に近い山村で、わが国犯罪史上未曾有の大惨劇が起こった。
貝尾部落とその隣の坂本部落を舞台に、1人の青年がわずか1時間半の間に村人30人を惨殺するという大事件が
発生。「津山30人殺し」である。
西加茂村は全戸数約380戸、人口約2000人、貝尾部落は全戸数23戸、人口111人、その隣の坂本部落は全
戸数20戸、人口94人という小さな村であった。
この両部落住民は大部分が零細農で、山田の耕作や養蚕を主な産業とし冬の間は雪に閉ざされ、男は長期の出稼ぎや
山に入って炭焼きをする者が多い。村には老人と婦女子だけが残る。「夜這い」など性的に放縦な旧習が色濃く残る
部落でそれが元で屈折した愛憎を抱いた犯罪者により部落狩りが行われたのである。










35 :天之御名無主:03/09/03 08:22
忌み地って昔の人は尾根端、谷くち、お宮前、お寺裏っていってたよね。



39 :天之御名無主:03/09/04 08:48

>>35
え・・・。漏れの家はお宮の真ん前にあるわけだが・・・ガクガク(((゚Д゚;)))ブルブル
まぁさ、お宮から古木のある庭、稲荷にかけて時々何か通るけどさ。
火の玉とか、この世の人でない人とかさ。悪い気配しないからいいけどさ。



40 :天之御名無主:03/09/04 16:15

>39
忌み地にご在住ですか、そうですか…
合掌。



43 :天之御名無主:03/09/04 22:47

「悪谷」という名の場所はやばい、と柳田が言ってた気がする。
他にあったかも。



49 :天之御名無主:03/09/07 08:27

死人もいなくて、なぜ忌み地になったかわからない土地って
風水で言う陰の気が噴出してるところみたいなものかな?
そーいう土地は20年で地運が変わるので時間がたてば大丈夫らしいが。



51 :山荒治五郎:03/09/07 12:35

死人が出たからといって忌み地になるというのは違いますよ。



50 :ブクタブクオ:03/09/07 09:30

風水なんてここ12~13年前、から言われ出した事で、日本の既存の生活文化に
何の関わりもありませんよ。
メディアがデッチ上げた、新しすぎる認識です。(映画「帝都物語」の影響?)



64 :天之御名無主:03/09/08 03:41

風水の歴史
風水はもともと中国古来の仙道五術の奥義です。
この奥義は森羅万象の過去から未来に至るまでを判断し、運を切り開いていくのに
風水羅盤を用いて、王や帝王とその国家の安泰の為に使われていました。
はじめのうちは、国を守る為に主に軍策として利用されていました。
攻め入る軍はどこに陣をおけば効率が良いか、どこから攻めていけばよいか、
またどこに城を築けば攻められにくいかなどを地理・方位などから判断していたのです。
国が安泰となってからは軍策だけでなく、このノウハウを使って、
繁栄する都・国作りに応用され、次第にこの奥義の一端が庶民にまで広がり、
家相や、個人の生まれた時間を元に個人の吉凶を判断するものとなっていったのです。
日本では、最近流行っている「陰陽師」がこの風水の奥義を会得しました。
陰陽師は、中国から伝来してきたこの奥義を踏まえ、暦を読み、国の祭事を司り、
風水に基づいた都作りをしていました。
陰陽師は国の重要な地位を確立し発言そのものが国を左右していたのです。
ちなみに陰陽師は「国家公務員」でした。
平安京の碁盤の目のように整然としている都は、完璧に風水に基づき
作られているのは有名です。
日本の歴史に風水が登場しているのは古く、邪馬台国の頃からと唱えている
歴史学者もいるようですが、この辺は定かではありません。
定説では平安時代の頃と考えられています。
諸葛孔明(しょかつこうめい)は希代の風水師で、軍師となれば戦に勝ち、
国主となれば国を適切な方向へ指導していきました。
日本では、徳川家康が博学で薬学などにも秀でていました。
そして、京から江戸に遷都した際、風水の教えに基づき都を作りました。
実際江戸城(現皇居)は風水上では理想の場所にあります。
また、家康が亡くなって日光東照宮にお祀りされていますが、
ここも風水上大変パワーの流れている場所に位置しています。
江戸幕府が300年の長きに渡って安泰に続いたのも、
同じく平安京が長く続いたのもこのような風水の良い影響があったからとされています。



65 :天之御名無主:03/09/08 03:51

「確かに平家物語にも「左青龍、右白虎、前朱雀、後玄武、四神相応の地なり」と記されている。
だが、実はそれはありえない。というのは、山や道などを四神にそれぞれ当てはめるのは、
中国で10世紀に始まったことだからである。8世紀に造営された平安京が、周囲の山や川などを
四神とみなしたため吉祥の地として都に選ばれた、とい可能性はない。」



67 :天之御名無主:03/09/08 03:59

「一方日本では、13世紀ごろから気の流れについての考えが入っているが、
家相、墓相には反映されずに近年まで至っており、風水の上陸によって盛んに
気の流れによる判断がされるようになった」



66 :天之御名無主:03/09/08 03:56

というかスレ違いあげてしまったスマソ



81 :天之御名無主:03/09/08 08:27

ごめん、風水ネタ書いたの俺だ。
でも四神とかじゃなくて、気が尾根筋を通って流れるとかいう山岳風水の話。
気の吹き出る穴には真穴(生気の吹き出る穴)と忌穴(生気の結ばない不毛な穴)
があって間違えて忌穴を活用したり、誤った方位で活用すると災いがあるってやつ。
なんか微妙に尾根端の忌み地ってヤツとリンクしそうな話だったんで…
スレ違いスマソ。




235 :天之御名無主:04/04/12 22:53

このスレに出てくる地名の出身だけど、
自分のところが忌み地だなんて初めて知った。
確かに、「宮ノ前」と呼ばれている地域があった。神社の前に。
だけどそこは大地主だったけどなあ。



236 : :04/04/12 23:39

>>235
一説ですが、お金持ちの家を周辺の人達が妬んで、
悪い噂を立てることもありますよ。
ちょっと例が違うけれど、クダ憑きとか六部殺しとか。
「あそこの家はこーんな悪い事してお金持ちになってるけど、
ホントは祟られてるんだぁ」みたいな。
ま、参考までに。



237 :天之御名無主:04/04/13 21:46

>>236
被差別部落の象徴?ともされる○○神社があるんだけどね、そこ。
でも、いわゆる同和地区とは違うん印象がある。
江戸の昔は知らないが、大体は土地持ちの農家で二階建ては当たり前、
車も二台ぐらいもっている家が多くて。ただ、農業地区としては、広い水田が作れないので
そう豊かではないと思われたが。
印象としては、尾根と谷が入り組んだ中で、一番の窪地で、
森がうっそうと生い茂り、夜には肝試しにうってつけ、の地区だった。
実際、小さい頃は肝試しして遊んだ。
ただ、明治ごろに、「神社の前の道で、子供が牛車に轢かれて死んだ」
「伝染病で死人がよく出た」という言い伝えを祖父から聞かされたことはあった。
そういえば。今思い出した。



606 :天之御名無主:2007/05/27(日) 09:05:39

古墳の所在地が発見まで忌み地となっていた例は少なくない
有名なところでは高松塚古墳とか
また、その地の民が太古の塚を護るが如く不可触民化している例も



607 :ブクタブクオ ◆DEJSaGMUPk :2007/05/27(日) 09:35:17

確かに被差別地域の丘陵には塚(墳墓)がある場合が見られますね。
関東では埼玉、茨城などが特に…。
またその地形から中世に城郭に使用される事もあって、戦乱の歴史と共に
忌む恐怖の発生する条件が重なるのは不自然ではありますまい。




275 :高市の縣待乳山:04/06/27 10:57

 平安時代や江戸時代まで貴族や位の高い人は、赤ちゃんを出産し時出
る胞衣(エナ)を、壷に入れて土に埋める、そしてその所に松を植えた
とした、ちょっとした塚というか山に、何らかの碑なり、信仰的な要素
が、あってもおかしくないだろうか?その辺の周辺をご教授願いたい!



284 :天之御名無主:04/11/01 22:31:14

>>275
エナを埋めた場所を特別視するのは、べつに貴族だけじゃなくて日本全国庶民の間で普通でしょ?
現在、どのくらい残っているかはわかんないけど




134 :名無し:03/09/30 19:45

なんで忌地が茨城ばかりなの?日本全国にもっと強力な忌地
があるんだろう?



135 :天之御名無主:03/10/02 01:04

神奈川の鎌倉って結構忌ってます。鎌倉時代に処刑場だった所に建った家の事ですけど、そこに住んだ家族は事故や一家離散に見舞われたという。実際俺そこに住んでましたけど、母親が亡くなって一時一家離散したかな。場所のせいかはわかりませんけど。スレ違い?



143 :天之御名無主:03/10/03 22:58

>135
鎌倉の由比ヶ浜って昔、処刑した囚人の埋葬地だったんですよね。
そう、処刑場や古戦場跡地みたいな場所は祟地多いですね。
 なんか京都や奈良方面にはもっと多くの埋もれた話がありそう。



144 :天之御名無主:03/10/04 01:19

>>143 そうですよ。埋葬地だけじゃなく処刑場自体あったとか。霊感があるという人はあの辺り近付きたくはないんだとか。小坪は有名だけどただの心霊スポットか。とにかく戦国時代の都付近はろくなもんじゃないです。



328 :天之御名無主:2005/09/17(土) 09:11:16

古戦場跡も多いですね。

群馬県の神流川の近くには、首塚八幡宮、胴塚稲荷という滝川一益と
北条氏直の激戦の戦死者を祭っていますし、有名な関ヶ原古戦場の柴
井には西首塚(胴塚)があり、JR東海道本線の敷設の際、埋葬者の白
骨が相当量出たといわれており忌み地です。
八王子城のある高尾山も前田利家、上杉景勝らに率いられた豊臣勢3
、5万が落として後北条小田原本城勢に大きな衝撃を与えた地ですが、
屍が山を覆った八王子城跡は里人が恐れて足を踏み入れるのを嫌う忌
み山になっています。

しかし、首塚八幡宮では頭の病気や怪我にご利益があると知られ、参
拝者も多く一概に忌み地・忌み山はマイナスの性格だけを持つもので
はありません。

忌み山も多くは、奈良吉野の妹山のように、859(貞観元)年前に
大名持神社が山腹にまつられてから、周辺地城の人々の崇敬をあつめ
た忌み山として入山を禁止されてきたような信仰の山、神体山として
の性格から畏れられた為で、信仰上のご利益はあったのです。
奥多摩のお話も日原川、巳ノ戸谷周辺にある「忌山御前」にまつわる
伝説が元になっている話であり、山神に悪事なす行いをしなければ、
そう怪異を招く事はありません。すべては人の業だと思いますね。



332 :天之御名無主:2005/10/04(火) 21:57:34

大きな大木にも神や霊が宿り、禁忌の地となった場所もあります。
大阪の梅田のど真ん中のよみうりゴルフガーデン(太夫寺の東側)の北の方
舗装道路の中央に、異様な鳥居と大木があります。竜王大神といい、龍
神の巳神さんを祭り、銀杏の神木が生えています。

大阪には、他にも切ろうとすると祟りや怨念を起こすご神木があります。

ttp://ss4.inet-osaka.or.jp/~tochio/shimboku-meguri.html



335 :天之御名無主:2005/10/06(木) 16:45:42

人がその場所を「忌む」のは、そこに汚れた物や怖い物があったからだよ。
昔は迷信や伝染病が怖くて近づかなかったの。そんな所、日本中にあるよ。

怖がる事はない。ただ近づかなければいいだけだ。むやみに近づけば・・・。



336 :天之御名無主:2005/10/06(木) 20:48:05

>>335
当初はご神域であったところがほとんど。あとから古戦場、処刑場
等がついてきたのでは?



337 :天之御名無主:2005/10/07(金) 12:06:46

>>336

神域=人が近づいてはいけない所=忌み地です。
清い=人が近づいてはいけない所=汚いですね。

このような比喩は、仏教や神道によく見られます。




437 :天之御名無主:2006/03/16(木) 03:22:38

レトロウイルスなんかは、そういう伝承のある所から発生しているらしいね。
「あの山に入ってはいけない」「森の木を切ると祟りがある」
祟りとはウイルスのことだった、というのを何処かのスレで見た。



438 :天之御名無主:2006/03/16(木) 20:49:33

そういった話なら日本にもあるね。

広島県 芦田川・高屋川合流地点付近。
昔はこのあたりは海だったという言い伝えがある。はるか昔、漆を大量に積んだ船が
大風によって難破し、そこの山は漆山と呼ばれるようになった。この地では、昔の漆の
気が残っているために、訪れるものは皆かぶれるといわれていた。春から夏の季節の
変わり目に耕作のために田に入ると、足の脛に小さな発疹ができ、耐えられぬほどの
痛さ痒さに襲われる。やがては下痢や嘔吐を起こし、寝汗をかき肉は落ち、腹だけは
鼓のように膨れ、最後は足にむくみが来て落命する。
20世紀初頭、日本住血吸虫感染が原因であることが証明された。



439 :天之御名無主:2006/03/19(日) 21:08:29

>>437
それ何処かで見たな。何処だっけ? 



441 :天之御名無主:2006/03/20(月) 22:15:19

>>437
エボラ出血熱やエイズだろ。みんなアフリカの未開の地からやってきた
んだよ。日本だと、住血吸虫に日本脳炎に砒素鉱毒かな。



442 :天之御名無主:2006/03/21(火) 06:18:59

日本では他にツツガムシ、フィラリア、マラリアなどがある。



443 :天之御名無主:2006/03/21(火) 17:30:03

フィラリアなんてあるの?



444 :天之御名無主:2006/03/21(火) 18:34:15

犬の死亡原因上位を占める寄生虫病だよ。
人に感染すると象皮病を引き起こす。金玉が地面に着くほど腫れたりするアレ。




583 :天之御名無主:2007/04/08(日) 00:30:28

俺の住んでる地域の近くで「忌部」って地名があるのだが、そこは忌み地なのか?
詳細として近くに神社が2つある。
忌部神社:小高い山の途中にある神社

岩戸神社:その地域の近くにある神社、多分無関係



584 :天之御名無主:2007/04/08(日) 00:38:13

それは延喜式の由緒ある忌部の神社。奈良時代から天皇家に使える
祭祀集団の系列神社です。
測量・地図も得意としていたらしく、その神社は日本全国にあります。
今で言う、国土地理院みたいなものと考えればいいかもね。



586 :天之御名無主:2007/04/12(木) 23:45:43

忌部ってWikiで見たことあるわ
古代から続いてるのか、なんかすげーな
ガキの頃はかっこいい苗字に憧れたもんだ




184 :ブクタブクオ:03/11/07 04:51

全国の忌み地話は随時募集しております。
話辛い、他所様に語るな。
そんな後ろめたい土地話を、御提供お待ちしてます。

尚、元被差別地域の話は厳として許しません。
あえて書かれる方は荒らしとみなし、これらに反応・同調無き様願います。
その旨、御察収の程を。



452 :天之御名無主:2006/04/02(日) 01:52:52

何年かこのスレを見つづけて、自分でも調べたり探索したりしてるけど、
無理に被差別系の土地の話題を避けるのは、日本の近世史と土地への観念の関わりから観て
不自然だと思います。
穢れの思想の表と裏や、昔の人(情報の限られた人)の観念を推し量るのに
そういった厳然たる社会状況(それが正しいか間違っているかは別として)は考慮せねばならないと
考えるからです。
未だにそんなくだらない差別をしたがるシーラカンスのごとき人々は無視するとしても。
このスレでもかなり前に(3年前ぐらい?)に言わなくなった話題ですけども
真剣に人の心の明暗と土地への観念に興味がある人間として。




501 :天之御名無主:2006/07/21(金) 02:55:02

怨み山や怨み地とかではありませんが、少し私の話を聞いてください。
私の村には毎年8月某日に『有珠姫(うすひめ)祭り』という祭りがあります。
戦国時代にこの地域を治めていた殿様の娘の名前が有珠姫で、一向門徒側に味方したので織田方の領主から総攻撃を受けたこの地域の領主が息子とともに出陣先で討ち死にしました。
この時、城を留守していたのが有珠姫と家老衆とわずかな兵士で、たちまち城は包囲され、有珠姫は城兵と逃げてきた領民の助命を条件に自分の身柄と城の財宝のすべてを包囲軍に引き渡しました。
しかし約束は守られず城兵と領民は皆殺しにされ、それを見た有珠姫は仕込み杖を素早く取り出し近くにいた兵士を一瞬に切り倒しました。
一向門徒側の味方がいる領地まで逃げようと切り掛かる兵士を切り倒しつつ必死で逃げるも、一斉に槍で突かれ力尽き落命しました。落命してもなお手に握られた仕込み杖は血で赤く染まり、それを見た包囲側の大将が近くにあった寺の住職に祟らないように奉るよう命令しました。
住職は有珠姫の怒りを収めるよう領民たちが毎年有珠姫の命日である8月某日にお祭りをすることになりました。
女性6人が巫女衣装を着て仕込み杖が奉ってある本堂へ入り一晩中寝ずに会話をしなければうけなく私が今年初めてその役になりました。
中には何回もした人がいます。とにかく寝てはいけないのです。
お菓子を沢山もってきてお構いなしに大声で笑い、楽しいらしいのですが私は絶対寝てしまう自信があるのです…
どうすればいいのでしょうか…
長文駄文失礼しました。



502 :天之御名無主:2006/07/21(金) 16:25:12

>>501
とりあえず俺と結婚してくれ



503 :天之御名無主:2006/07/21(金) 16:34:52

やれやれ。>>502の巫女好きにも困ったものだ。



504 :天之御名無主:2006/07/21(金) 16:42:37

>>502-503
お前ら知り合いかよwww



572 :天之御名無主:2007/02/16(金) 21:18:26

>501
こんばんは。以前に『有珠姫(うすひめ)祭』
についてカキコした者です。
その後ですが、見事に大役(?)を果たしました。
ええ、眠らなかったです。何処の村なのかは申し訳ありませんが言えません。
もし心ない人がそのお寺に悪戯とかしたら…と思うとどうしても教えにくいからです。
ただ、一向門徒の抵抗が激しかったといえば自ずと解るでしょう。
私がなぜ有珠姫のエピソードについて詳しいのかというと、幼少の頃から『昔話』として聞かされていたからです。
幼少の頃はなんて恐い姫だったんだろうと思ってましたが、大人になるにつれて有珠姫の性格やその短い人生での出来事を時代の背景から見てみると今の私だからこそ理解できるからです。
今では何回も巫女役を引き受けた人の気持ちが解るんです。
今年も有珠姫祭はありますが、私はもちろん巫女役を志願するつもりです。
もし、場所が解り祭の日にその場所に来れたのなら是非きてください。




701 :天之御名無主:2008/04/20(日) 19:08:13

千葉の鎌ケ谷について昔の地名や由来を調べて頂く事ってできますか?
それとこういう情報って図書館で仕入れられるんですか?



702 :ブクタブクオ ◆DEJSaGMUPk :2008/04/20(日) 19:41:45

小さな図書館より、地元町内会の発行した会員名簿などにも、
狭い範囲での郷土史的な情報はあると思います。
それを基礎ネタに、地域のオバ犯ネットワークなどから因縁めいた情報を
取得するのもよいと思われます。
国会図書館や都立中央図書館などは、集約的な民俗資料を閲覧できる
場所ではありますが、掘り出すのは楽ではありません。
怪異伝承データベースなどは大量に情報が網羅されていますが、
原文をかなり端折られた形で載っているため感慨が薄いです。



703 :天之御名無主:2008/04/20(日) 22:06:11

丁寧な説明ありがとうございます。
オバ半かぁ・・・よそ者扱いだから近所の人と話さないなぁ。
というか確実に鎌ケ谷が忌み地だから調べたくて気になっていました。
近くの八柱も凄そうだし。。
まずは会員名簿からみて怪異伝承データベース、地元の図書館、駄目なら
都立中央図書館と追っていこうと思います。








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コメント

鎌ヶ谷というとファイターズしか思い浮かばない……

東北・北陸枠に北陸入ってなくてワロタ

千葉にもあるんだー。山がない県だから田んぼとか橋とかだけど……

地元大杉
怖い

奥多摩って集落に数件しかないのかと思ってた

>いわくつきの場所だからこそ、役所がわざわざ手がけて公共の場所に
>してるんじゃねえか。誰も手をつけんのだから。

そうそう。曰くつきの場所は人の往来で念を薄めるのが一番だと聞くね。
これが街中で幽霊を見掛けない出ない理由だともw
まぁ、誰が幽霊かすら分からないんだけどさ。

もう山も削られて跡形もないね

鎌倉は見える人にとっちゃほんと気持ち悪いらしいな。
平塚の東口駅前も気持ち悪いらしい。なんでも調べたら皿屋敷跡があったとか。
逗子らへんのトンネルも怖いって言ってたなぁ。

千葉在住でテラ地元でびっくりしたww
今度調べてみようかなww怖いけど('A`)

柿生じゃねぇ麻生区だよ。
うちんち金程だもん

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